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ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調 S.124/R.455(独語:''Klavierkonzert Nr. 1 in Es-Dur'' 英語:''Piano Concerto No. 1 in E-flat major'')は、フランツ・リストが1830年代から1856年にかけて作曲したピアノ協奏曲。第3楽章でトライアングルが活躍することから、エドゥアルト・ハンスリックに「トライアングル協奏曲」と揶揄されたことで知られる。 ==概要== リストは本作の協奏曲を作曲する以前の1821年頃(ないしは1825年頃)に2曲のピアノ協奏曲(S.713)を作曲しているが、この2曲は現在楽譜が紛失しているため、本作が最初に完成させたピアノ協奏曲ということになる〔『作曲家・人と作品:フランツ・リスト』p.219〕。 本作の着想は1830年代頃に書かれたスケッチ帳に、第1楽章の冒頭主題と終楽章の行進曲調の主題が書かれていることから、この頃からすでに着手していたと考えられている〔『最新名曲解説全集9 協奏曲2』p.267〕。1835年に初稿が完成され、この初稿は全3楽章から構成されるものであった。その後リストはこの初稿を単一楽章の形式に改訂を行い、1839年に初稿の改訂版をひとまず完成させているが、ピアニストとしての活動もあったため、中断を余儀なくした。再開したのは7年後の1846年で、ヴァイマル近郊のアルテンブルクの別荘〔当時カロリーネ・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人と同棲していた(ポケット・スコア p.1)〕で本格的に着手し、1849年7月に最終稿を完成させた。しかし完成後すぐには発表せず、1853年に再び改訂し、初演後の1856年にはさらなる推敲が加えられている。 初演は1855年2月17日、ヴァイマルの宮廷で行われた演奏会にて、エクトル・ベルリオーズの指揮と作曲者自身のピアノによって行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピアノ協奏曲第1番 (リスト)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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